アクションのオーガナイザーの一人が、やってきた観客たち(35名)をキエヴォゴルスコエ原の東端に誘導した(彼らは以前野原の北端であったところ、野原に建てられた別荘(ダーチャ)のあいだの村道を歩いて行った)。観客たちが起点に出ると、数枚の文書(A3)の入った封筒(A4)が配られた。それらの文書はアクション「行為の場」(1979)の準備資料を編集したもので、そこでは赤い布切れを観客の合図として使用する可能性が論点になっていた(アクション「行為の場」ではこの要素は使用されなかった)。
この時までに、野原の反対の端では、アクションのオーガナイザーたちが、中央に赤い文字で「アクション《行為の場》への注釈」と書かれた(「注釈」という言葉は654ポイント、「アクション《行為の場》への」は51ポイント)赤い布(10m×2.3m)を広げた。布地の左上の隅には(101ポイントで)「+100メートル」と書かれていた。この文は、90年代に野原において行われた森の伐採の奥行き(西側)を指していた。
観客たちは、処女雪を通って赤い布の方へ移動するよう指示された。雪は深く、観客たちが野(400-500m)を横切るのに20分程度を要した。全員が布のところに集まると、布は地面に敷かれて、観客たちは、事実記録として、すでに受け取った封筒の中のテクストに加えて、赤い布地の一部をハサミで(彼らは事前にハサミを持ってくるよう言われていた)切り取るよう指示された。観客たちが布を切り取って行為の場を去った後、アクションのオーガナイザーたちは雪の上(それまで布が置いてあったところ)に、「アクション《行為の場》へのシュエダゴン」と赤い文字で書かれた小さな赤い長方形の布切れ(150cm×80cm)を置き、野を去った。
キエヴォゴルスコエ原
1999年3月31日
A.モナストゥイルスキー、E.エラーギナ、N.パニトコフ、I.マカレーヴィチ、S.ロマシコ、S.ヘンスゲン、M.コンスタンチノワ
M.ルィクリン、A.アリチューク、N.コズロフ、Yu.レイデルマン、I.バクシテイン、某氏(2名)、M.チュイコワ、A.フィリッポフ、N.シェプトゥリン、Yu.オフチンニコワ、S.レートフ、A.パノフ、V.サリニコフ、N.コチョール、ズジ・フランク、V.スチグネーエフ、P.シルコフスキイ、M.シドリン、M.オルロワ、A.ロマノワ、M.フリードと子供2人、M.イリューヒン、I.コリナ、マクシム・ゴレリク、O.アリムピエワ、V.アリムピエフ、Yu.ジュニナ、E.コヴィリナ、N.マギドワ、E.モロゾワ、V.ヴォリャク、O.エゴロワ
露文和訳 生熊源一・上田洋子
Translated by Genichi Ikuma/Yoko Ueda
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