<集団行為>(コレクチーヴヌィエ・ジェイストヴィヤ)
――アクションの記述・写真・映像・音源

第三巻(序文)

内の音楽と外の音楽 . <集団行為> アクションの写真

31. 内の音楽と外の音楽

一週間の間、私は「塔」というアクションについて考えていた。さまざまな雑誌から塔の図像を切り取って、それらを白い紙に貼り、それぞれの塔に説明文を付け、タクシーで30分のコースを算出してみた。だが後に、このアクションをやる価値はないと感じた。もっとも、4月7日にはやはり、「塔」の音声に必要な、路面電車が通過する際の騒音(ノイズ)をいくつか録音しようと決めた。夜の12時頃だったか、私はソローキンとコロリョフ通り沿いの並木道に行って、必要だったものを録音した。翌日、私はこのアクションをやらないという最終的な決断を下した。並木通りの録音を聴くことさえしなかった。一日置いて、Nが私のところにやってきた。彼女と楽しい時を過ごした私は、突然路面電車の録音を聴きたくなった。録音は素晴らしく上手くいっていた。私のテープレコーダーはステレオ録音なので、効果は非常に空間的だった。遠くから右の耳に速度を増していく路面電車の静かな音が生起し、それから大きな音をたてて頭の中を通過していき、左の耳で消えて、静かになる。私にはアクション「路面電車 ―塔の残留」のプランが生まれた。電源を入れたウォークマンをしたロマシコが歩道に立ち、路面電車が通る並木道に向かって木にもたれ、前日に私が録音した音源を30分間聞く。この録音は路面電車の騒音のみからなっている。録音の最後にロマシコに対し、アクション終了の直後に行為のその場で(同じテープに指示が録音してある)、自分のそばを路面電車が通過するのを知覚した音声環境に関してひとこと述べるよう申し出がなされる。

私はNに外に出て(もう夜の11時だった)必要な音声を録音しようと言った。彼女は賛成した。玄関に出て上着を着ようと、部屋の電気を消した。けれどもそれから私たちはふざけ出し、暗闇の中でソファーに寝転んで抱き合ったりキスをしたりしはじめた。結局どこへも行かずじまいだった。

私たちは朝の8時頃に目を覚まし、私は調子を上げようとニーナ・ハンゲンの「アングストゥロスAngstlos」をかけた。なかなかいい曲が2曲ある、とはいえこのレコードは私の考えでは、これまでの作品と比べるといまいちだ。そういえば数日前、美学的な評価と判断に触れた断片のようなものを書いた。そこに、芸術にあるのは開花と凋落ではなく、それらに相応する「遠さ」と「深さ」であると書いたのだった。このレコードを聞いて、私は自分の意見に自信がなくなった。レコードからぷんぷん漂ってきたのは「凋落」で、「深さ」ではなかった。その後、Nとの結婚の日に、私はクラウス・シュルツェ、フィリップ・グラス、ジョン・ケージ、シュトックハウゼンらの70年代の鍵となるいくつかの作品を聴き、直後に80年代の最も流行のものを聞いた。ああ、こんなことはすべきではなかった! 私は偏見がなく、根本的に新しいものに心の底から興味を持っているのだが、この比較は、私の、もちろん極めて主観的な視点から見ると、80年代に不利だった。

それから私たちは朝食を取り、「レジデンツ」のレコードを聴いた。アフロで無邪気な素晴らしい音楽だ。スティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」の片面を聴き終わったときになって、「残留の」という言葉が頭にこびりついて離れなくなった。私は昼の12時頃にトロリーバスの停留所までNを送って行った。私たちは路面電車の線路を渡ったが、そこで私は「路面電車 ―塔の残留」というアクションを実行しようととりあえず決意して、通りがかりにロマシコがそばに立つことになる木を選んだ。道中ずっと、私は遠くの通行人を指さして、Nに、ほら、〈残留の人〉が歩いて行く、と言っていた。これがどういう意味で、なぜ「残留の人」なのか、まったく理解できなかった。ただただ可笑しかったのだが、おそらく、これは私に何か症候群でも起こったのかもしれない。

トロリーバスの停留所までやってきたとき、村から出てきたらしい両手にかばんを2つ持った年配の女が私たちの気を引いた。女は私たちからほど近い木のところに立ち止まり、かばんからココアの箱を2つ取り出して、それらを地面に木と並べて立てた。それから私たちの方を見て、「このココアはいらないやつで、訳あり品頒布でもらったのだけれど、私はココアは飲まないから、欲しければ持って行きなさい、さもないとここに〈残していく〉ことになるから」と言う。私たちは女にココアを〈残していく〉のをやめるよう説得し出したが、女はいっこうに聞き入れない。残していく、残していく、の一点張りだ。このとき突然、背後の別の木のそばで、誰かがアスファルトにどすんと倒れた。振り返ると足がつき出ている、上半身は木の陰だ。近づいてみると、汚れた薄手のコートを着た男で、ベルモットの「爆弾」が2本入った網袋がそばに転がっていた。私は脇の下を支えて男をなんとか起き上がらせた。男は私の袖を掴んで「お前に見せてやるものがある」と言う。ジャケットの脇のポケットから財布を取りだし、財布からまずは「功労クレムリン労働者」の徽章を、それから功労労働者(ヴェテラン)の証明書を出した。男は証明書を開き、それを発行した人物の署名に注目を促す。そこにはソ連邦KGB局、副だか主任だか長だかもうはっきりは覚えていないが、アルダノフと書かれていた。男はさらにベリヤのもとで働いていたと私に囁いた。すなわち、まったく残留の典型なのだ。私がこの男につかまっているうちに、女はココアとともに消えていた ―〈残していく〉のを考え直したのだ。ここでトロリーバスが来て、Nは去り、私は家に帰った。

続く数日の間に、私の中で音声録音の内容が少しずつまとまってきたのだが、私はもはやそれをアクションとしてというよりは、ロマシコだけでなく希望者が誰でも聴くことのできる音楽作品の録音として考えていた。録音の試聴を成立させるための条件が2つだけあって、それは夜の11時から11時半の間に、録音が行われることになる決まった場所で聴かねばならないということだった。録音内容自体、何よりもまず通過する路面電車の騒音でなければならない ―すなわち私たちはその場所にやって来て、テープレコーダーの電源を入れ、11時から11時半まで、この間そばを通過するすべての路面電車の音を録音するのだ。録音中、補足的に楽器を用い、テープレコーダーからさまざまに距離を取って音を出すようにする。

まず、ホルンとオーボエで、セルゲイ・レートフが音を出すことになる(ここでわれわれはまさに「レートフのしっぽ」という興味深い方法を用いるが、これは以前「中心の音楽」というアクションのために企画しつつも、実現しなかったものだ。路面電車がテープレコーダーのそばを通過するとき、レートフが管楽器を吹き、路面電車が去ってしまった後もさらに1分から1分半ほど音を出し続けているというものである。「中心の音楽」では、路面電車ではなく列車が通過するはずだった。こうして、録音にはある種の音の痕跡、しっぽのようなものが得られ、交通の騒音は調子のある音楽の音に変形する)。つぎに、太鼓、ニコライ・パニトコフの法螺貝、二種類の鐘、目覚まし時計の音、中国のハーモニカ、そしてときに声のさまざまな音色を用いる。

だが、これらはどれも録音には少しあればいい、主な内容はやはり通過する路面電車の音で、音楽の要素はただ時々補足的に挿入されるだけ、遠くで響いている反響のようなものだ。こうして、「内の音楽と外の音楽」 ―この曲はこう名付けることができるだろう― の録音が得られる。この録音を聴いている人の視覚的な注意は、おそらく、通過する路面電車、それを待っている様子、それが通っていくのを目で追っている様子などに向けるようにすべきだ。ここで、録音した路面電車と、録音を聴いている間に通過する現実の路面電車との興味深い一致が生じ得る。

今日、4月20日に、レートフとパニトコフと私は、録音の約束をした。私はキゼヴァリテルに電話をかけ、録音の様子を写真に撮るよう頼んだ。だが彼は断り、こうしたことはすべて自分には退屈だと言って、「集団行為」グループのメンバーから抜けたいという希望を表明した。それはもちろん残念だが、仕方がないだろう。キゼヴァリテルはニキータ・アレクセーエフの後を追って独自の創作へと向かったのだ。彼の成功を願うしかない。こうしてパニトコフと私、マカール【マカレーヴィチ】とレーナ【エラーギナ】、ロマシコが残った。

***

昨日の22時40分から23時10分まで「内の音楽と外の音楽」を録音した。レートフ、パニトコフ、レーナ・ロマノワと私だ。他に、アーリク・シドロフがうちに来ていて、たまたまフラッシュの付いたカメラを持っていた。彼が外で録音中のわれわれを写真に撮った(正確に言えば録音前で、録音のときには彼はいなかった)。録音は、私の考えでは、なかなかうまくいって、「零度の」音楽が得られた。中心となっているのは静寂か、あるいは通過する路面電車の騒音で、端々には、遠くで鳴ってかき消される奇妙な騒音音楽がある。用いたのはホルン(レートフ)、ハーモニカ2台(レートフと私)、法螺貝(コーリャ【パニトコフ】)、太鼓、鐘、目覚まし時計のベル、口笛、声(私)だった。録音後、私の家に行って聴いてみた。そういえば、われわれは道端で警察に言いがかりをつけられないかといささか心配していた。だがそんなことは起こらず、われわれは何より大きな安堵と満足を、即興そのものからではなく、万事が順調に終わって、言いがかりをつけられたりもしなかったことから味わったのだった。

思うに、録音の半ばごろに路面電車の騒音の「昼間のタッチ」を付け加えるのも悪くない、つまり同じ場所で路面電車の接近、テープレコーダーのそばの通過、そして遠ざかりを昼間、あるいは朝ならもっといいが、に録音する。今、私は博物館に仕事に向かっているが(今日、4月21日は土曜奉仕労働があって、5時にはNと私の結婚式だ)、途中でこの「タッチ」を録音に加えてみよう。否、もう一度録音を聴いて、この「タッチ」を付け加えないことを決めた。この録音が持っている均質性とドキュメンタリー性を損なうことはすまい。コーリャの法螺貝はとても面白い音だ。あたかも何かジャングルの動物が通過する路面電車と車に声で反応して、威嚇し、騒ぎ、吠えているかのようだ。

***

そんなわけで、昨日(1984年4月22日)セルゲイ・ロマシコは「内の音楽と外の音楽」の音声を聴いた。試聴は録音場所の11番と7番の路面電車が通るコロリョフ通りで22時40分に開始、23時10分に終了した。かなり寒く、気温は0度をわずかに上回る程だった。だがロマシコによると、不快の度合いは十分耐え得る程度だった。彼の評価では録音は一貫していいレベルだった。Nと私は試聴場所から遠くないところをうろうろしながら、ロマシコのそばを双方向に7本の路面電車が走ったのを数えた。録音では路面電車の数はもう少し多い。試聴後は私の家に戻って、ロマシコがこの出来事についてテープレコーダーにちょっとした談話を語ったので、あとで文字に起してドキュメントに付け加えておく。キゼヴァリテルとはすべてうまく解決したと言えるだろう。私は彼に電話をかけ、彼は試聴の際の撮影に同意し、実際にそれをやった。ただ、何かが撮影できたのかどうかはわからない。フラッシュをたいて、照明をつけた路面電車が通過するのを背景にロマシコを撮影したから。ゴーガ【キゼヴァリテル】が私にしばしばいきなり蹴りを入れて来るのはわかる。だが結局のところ、些細な精神的不調は気に留めずに、「集団行為」を元のメンバーで維持する方が賢明だ。そんなに頻繁にアクションを行うわけでも、参加者にたいした労力が必要とされるわけでもないのだから。

昨日、私とNはちょうど11番の路面電車でソコーリニキに行って楽しく散歩をし、マレンコフスキエ池のそばを通って、氷水の中で幸せそうにバタバタ泳いでいるスポーツマンを見た。散歩の最後、珍しい光景に心を動かされた。もう公園の出口のところまでやって来たときだが、木造のステージにいる小さな吹奏楽隊の音に合わせて、汚らしい擦り切れたトレンチコートやぼろぼろのウールコートを着た5‐6人の年配の酩酊状態の男女が、楽隊の勇ましい音に乗って忘我的に踊っていたのだ。大きな閑散としたアスファルトの広場には、風と寒さの中、子供のような笑顔で踊っている公園の娼婦とアル中たちの他に誰もいなかったため、この光景はことさら感動的だった。私たちは15分ほど興味深く彼らを見ていて、それから立ち去ったが、彼らはまだエネルギーと満足感に溢れて踊り続けていた。

A.M.

モスクワ

1984年3月20日 ― 4月20日 ― 4月22日

A.モナストゥイルスキー、N.パニトコフ、S.レートフ、G.キゼヴァリテル、E.ロマノワ、S.ロマシコ

 

露文和訳 上田洋子

Translated by Yoko Ueda

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