アクションの参加者たちに迎えられたN. アレクセーエフは、そのアクションがどういう内容か知らされないまま、昼の12時に地下鉄「ソコリニキ」駅近くのとある中庭に連れてこられた。そこでA. モナストゥイルスキーから20m離れて、彼の方を向いて立ち、スタート地点につくよう提案された。そして続く行為にかんする指示書がN. アレクセーエフに手渡された(添付参照)。
A. M.は、N. A.が指示書を読み終わってから5-7分ほど立ち止まった後(彼に背を向けていた)、N. A.を後ろに従えて(20mの距離を保って)、気の向くままの道順で歩き出した。その際、ともかくあらかじめ運動に当てられていた時間(3時間)を念頭におき、15時までにはアクションの別の参加者と落ち合う予定のある地下鉄「プレオブラジェンスカヤ広場」のあたりに着いていなければならなかった。そこからアクションの次の段階が展開するはずだったのだ。この3時間の運動の間に、A. M.によって一連の予定外の行為が即興で行われた(A. M.とN. A.の談話を参照)。
決められた場所に到着すると、A. M.と彼についていったN. A.をN. パニトコフが出迎え、立ち止まらせて、N. アレクセーエフに対してその先の行動についての指示書をさまざまな長さの間(ま)を挟みながら読み始めた(添付参照)。指示書が読まれている間に、A. M.は、N. A.から見えない場所に隠れて、そばにいて、同じくN. A.から隠れていたS. ロマシコに彼の行為についての指示を伝えた(添付参照)。その際S. ロマシコは、それまでの段階、つまりA. M.とN. A.の旅を含めて、アクションの内容を知らなかった。
こうしてS. ロマシコとN. アレクセーエフ(S. ロマシコが彼のあとを追っているとは知る由もなかった)は、それぞれ指示書に従って出発し、16:10に地下鉄「ソコリニキ」駅でアクションを終了した(S. R.とN. A.の談話を参照)。
モスクワ
1981年9月13日
A. モナストゥイルスキー、N. パニトコフ、S. ロマシコ、G. キゼヴァリテル
翻訳 上田洋子
Translated by Yoko Ueda